マイブームの変遷 ガキ編

家に住み続け、たまに洗面所に現れるクモがマジで怖すぎて部屋から出られません。

 

前回に引き続きキモすぎるマイブームの変遷を綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

中学1年 Twitter(ツイキャス)

この辺が僕をクソ人間たらしめた最大の要因だと思われます。

 

正直、この時に関わっていた人は今でも普通に検索したらTwitterアカウントが見つかるのであまり詳しくは書きたく無いのですが(え?)、大雑把に言うとツイキャス関係で仲良くなった人と一日中通話したりゲームしたりそいつのキャス行ったりと、まあ所謂つながり依存というやつになってました。

 

夏休み前くらいにハマったので必然的に夏休みの終わりとともにその環境が続くことになり、当時僕は運動部に入っていたのですが、夏休み明けの部活を「なんか寂しいから」という理由でサボり始めたり、学校もちょくちょくサボったりしてもうマジで最悪でした。(中学校自体は楽しかった気がします)

 

一度その時関わっていた人(女性)とエンカしたことがあるのですが、エンカしといて特に何もしなかったので(そもそもエンカという認識が無かったし俺は中学1年生)FF内なのにも関わらず後からTwitterでぐちぐち言われてたのを今でも鮮明に思い出すことがあります。人間の脳みそはなんでこう都合の悪いことばっかり定期的に思い出すんでしょうね。キモいです。

 

ちなみにその時うまるちゃんにハマっていて(アニメ自体は途中で切った)コーラとポテチとたけのこの里を食いながらニコニコ動画を見たり、たまにその中にチーズ鱈を入れたりしてました。もこうが原作のメニューのお菓子を食べる動画が印象に残ってます。それぞれの単品はもちろん美味いのですが、原作にもある「ポテチを食った後にたけのこの里を食う」ムーブはマジで何が美味しいのか分からなかった。土間うまるは味障です。

 

 

 

 

中学1年後半〜3年 マリオメーカー

 

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

この時代は一番長く、今の僕があるのも半分これのおかげで、マリメ時代に繋がった人といまだにFFで絡んでいるくらいです。ですがこの時代は割と最近なだけに鮮明に思い出せてキモい。これを読んでいる画面の前の貴方は「マリオメーカー界隈」がどのようなものかご存知ですか?僕のこの「万人と分かり合わない」でちょくちょくマリメ関連の記事を出していますので、それを読んでいただければ大体は把握できます。

 

 

一言で言うとマリメ界隈はTwitterのせいで無駄に文字を打ってレスバトルするのが得意なガキ」が大半です。もちろん純粋にマリオが好きでやっている方もいっぱいいましたが、前者の声がデカすぎて普通にそれが全員なのかと疑うくらいには地獄でした。

 

界隈の地獄さは置いといて、僕自身マリオメーカーを累計3000時間はやったのではないかと思います。高校生になってからハマったスマブラでさえ1100時間ちょっとなので、相当な時間マリオメーカーに青春を費やしたことになります。青春なんてものはその後も訪れませんでしたが。(笑いどころ)(泣きアニメ)

 

中学生の時、なぜかマリオメーカーをやっていることが友達にバレ、時にはクラスのヤンキーに「メーカー」と呼ばれたりしました。陰湿な奴らでは無かったので、僕も「俺そろそろハテナブロック置かなあかんし帰るわ!」とか言って茶化してたので特に嫌では無かったような気がします。イジられが辛いという人は、いっそ自虐チックな道に走ってみてはどうでしょうか。着地する時に膝を曲げて衝撃を地面に逃すみたいな感じで上手く作用してくれると思います。

 

マリオメーカー界隈ではものすごく難しいコースを作る人が一定数居り、その中でも「スピードラン」という、ノンストップで走りながら障害物を避けたり甲羅を壁にぶつけて飛んだりと色々なアクションをするジャンルが爆発的に流行りました。「テクニック系」という、スピード感は前者に劣るものの、クリアに要するテクニックは飛び抜けて難しいというジャンルもありました。これは日本より海外のプレイヤーが得意としていたイメージがあります。

 

また、プレイヤーはプレイヤーでマジのキチガイがたくさんいたので、それをクリアするに止まらずタイムアタックまで始めるという修行僧のような人たちも居ました。ちなみにその人たちは大抵マリメの次にCS音ゲーにハマり、バカ上手いスコアを叩き出したりする傾向にありますね。

 

僕はというと、Panga(アメリカのマリメうますぎおっさん、毎回コースのギミックが斬新で楽しいかつ難しい)のコースをいくつかクリアしたり、前述した「スピードラン」を色々やったりして楽しんでました。マリメ界隈を5段階に分けるとすると2くらいの上手さだった気がします、そんなにガチではありませんでしたね。

 

ちなみに、その4年後に「マリオメーカー2」が発売するのですが、僕は100時間ほどプレイして古本市場に売り飛ばしてしまいました。単純に熱が冷めたのもありますが、主な理由は、前作から大幅に仕様が変わっておりそれに適応する気力がなかったためです。Pangaの「Pit of PePanga: DiVine Garden」という結構難しめのコースをクリアして、売りました。

 

↓そのコースの動画

 

 

 

 

中学3年〜高1くらい CHUNITHM

 

出た。チュウニズムです。噂の。

小学校くらいからちょくちょく太鼓の達人をプレイしていたのですが、その時は長らくゲーセンに行っておらず、「部活サボってて暇だしせっかくだから」というもうマジでお前死ねよって感じの不純な理由で友達について行く形で始めたのを覚えてます。

 

当時のバージョンはCHUNITHM AIR+で、初めてプレイした曲は「その群青が愛しかったようだった」だった気がします。だったが2つ重なるせいで文がおかしく見えますね。

 

僕のブログを読む人は大抵がチュウニズムを知ってそうなので色々説明を省きますが、銀レートまでは記憶が無くなっててとにかく何も思い出せません。それくらい早く成長したのかもしれないです。

 

銀レートからは13をプレイしたり、レート13.68くらいの時に何を思ったか「玩具狂奏曲 〜終焉〜」のSをひたすら粘着していた記憶があります。結局その時は取れずに諦め、殺人的な夏の暑さも手伝って1ヶ月くらいチュウニズムから離れたことも覚えてます。

 

虹レートになるまではひたすら13、下埋めなんてものは名前を聞くばかりで実行はしませんでした。そんな調子でレートがどんどん上がり、曖昧な記憶ですが、200クレちょいで虹レートに達し、狂喜乱舞しました。

しかしその虹レートはただの「Like the Wind」に雑に貼り付けられたメッキで、剥がれ落ちるのにそう時間はかからず、レートが15.01から14.87に落ち、マジでイライラしながらチャリを漕いで帰ったのは忘れません。(その時はリセント値とかあんまり分かってなかった)

 

15.2〜15.5あたりが多分一番やってました。ラウンドワンに開店凸した日もありますし、朝から晩まで20クレくらいを経ながらゲーセンに居座ってたこともありました。マジで楽しかったのでそれ以外の中学時代の記憶がありません。嘘です。

 

チュウニズムのこんなスコア出たわみたいな記事を結構投稿した気がするので、そこを見ればわかるのですが、かなりの日数ゲーセンに通い詰めてました。最終的にレート15.75、13の鳥が60個くらい、13+の鳥が20個くらい、13+のAJが3つくらい、そんな微妙な感じでチュウニズムに飽きてしまいました。自分で言うのもキモいですが、太鼓を経験してたこともあって成長は結構早めで楽しかったです。

 

今もたまにチュウニズムをやりたくなるのですが、ゲーセンに行くのが面倒、金を使いたくない、感覚が戻るのに結構時間がかかる、などの色々な理由で多分もうやることはないです。悲しい。(?)

 

ありがたいことにTwitterのフォロワーから「続けたら良かったのに」みたいなことをたまに言われるのですが、僕はガチでTwitterくらいしか物事を続けられないカスなので結構難しい話ですね。

 

大学生になったらボルテか弐寺をやろうかなぁと思っているので、その流れでたまに触ることはあるかもしれません、分からん、嘘かも、ウンチ

 

 

 

 

そんな感じで中学生時代は終わりです。前回同様細かいことはあるのですが、諸々の理由により書きません。

前回に比べて精神年齢の変化が大きく、スーパー若気の至り的な黒歴史は無かったのでインパクトに欠けますね、でも僕としてはもう黒歴史は作りたくないです。

 

まだ高校を卒業していないので高校生編を書くのは時期尚早かなあと思うのですが、もう受験なので多分これ以上マイブームは増えないでしょうし、多分近々高校生編も書きます。